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 大作ミュージカル'ドクトルジバコ' 150分一緒にしてみると
2012年02月20日 (月) | 編集 |
ジバゴの少ないジバゴであった。 ボリス・ パステルナークの原作の中のジバゴは革命と戦争・愛の巨大な運命に対抗したが、舞台の上のジバゴを苦しめたのは運命でない原作の幽霊だった。 何かに惹かれたように公演ずっとあっちこっち言いなりになったジバゴは結局むなしく舞台後に退場した。

20世紀初期ロシア革命期を背景にユーリー・ジバゴとララ・アンティポバの波瀾万丈な人生と愛を入れた大叙事詩劇'ドクトルジバコDoctor Zhibago'が3週目チャムシルシャーロッテシアター舞台に上がっている。 ミュージカル'ドクトルジバコ'は桑の実ミュージカルカンパニーのシン・ジュンス代表が米国とオーストラリアのスタッフらと共にプロデューサーで参加したグローバル プロジェクト。昨年2月オーストラリア初演では90%に近い座席占有率でまた、一度傑作誕生を知らせて、ノーベル文学賞と米国アカデミー5個部門受賞に続きミュージカルでの成就が始まろうとするように見えた。 原作のエッセンスをそのまま舞台に移してみるという意欲はミュージカルの途方もない宣伝文句 "小説と映画の偉大な感動"に盛り込まれた。

'そのまま'が問題だ。 20余年にわたった原作の大叙事詩はもちろんで3時間を越える映画バージョンも2時間30分舞台に移すにはやや柔らかくない。 密度高い話であるだけに粗雑な縮約は毒になる。 だが、製作スタッフは原作をできるだけそのまま再演しようとする欲に基本あらすじを各場面にぎっしりと満たして入れた。 副作用はすぐあらわれる。 1幕から背景説明が多くなったし早い場面転換で退屈さを克服しようとしたが劇が散漫で軽くなる。 俳優らと舞台装置が我を忘れて登場と退場を繰り返す間没入はずっと邪魔になったし原作の感じは虚しく消える。

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個別場面らの完成度は良い。 各人物らの間の絡まって混ざった関係、愛憎と怨恨と愛が各場面に自然ににじみ出る。 しかしこれはミュージカル'ドクトルジバコ'が成し遂げた成就ではない。 観客が頭の中に入れて来た背景知識だ。 原作がロシア激変期の人の歴史を長い旅程に表わしたとすればミュージカル バージョンは主要場面別に事実と感動の'破片'だけかけつぎした印象だった。 一つの大叙事詩劇を何編のミニシリーズで分けて引き続き付けた感じまで入るほどだ。 結局後半部に行くほど重たくならなければならない人間と芸術に対する洞察と感動は積もる間なしで蒸発する。 製作スタッフは芸術家としてのユーリーと彼のミューズのララの愛を不倫でない運命で描き出したかったが、はあはあ展開する話は簡単に共感を引き出すことができない。 かえって'制度を跳び越える巨大な愛'は全てのものを耐えるトーニャに発見される。 夫の浮気を分かりながらも最後まで'芸術家の愛'を理解しようと努力する苦闘は自然に涙をかもし出す。

映画がユーリーとララの愛の物語を中心に脚色された反面、ミュージカルではこれらを見守るほかはなかった人物ら(ユーリーの妻トゥーニャ、ララの夫パーシャとコマロフスキー)の比重が大きくなる。 代わりに存在感が弱くなった'ツートップ'ユーリーとララは本来の中魅力を相当部分なくす。 ユーリーは十何年の歳月が流れる間柔弱な青年のように人物らの間を行き来する。 常に発散するエネルギーで魔性を誇ってきたホングァンホも今回はキャラクターの限界に閉じ込められて力を注ぐことができない。 '狂った歌唱力'でもカバーされる水準でない。 独立的で強かった女性ララもやはりあたかもユーリーに従属したような女性だ。 ユーリーとララは最後までも彼らの愛を納得させるほどの共感を作ることができない。 残った公演期間の間これをどのように修正するかが成否のカギだ。

4.4度傾斜した舞台と遠近法が適用された舞台セットも印象的だが、ミュージカル'ドクトルジバコ'の長所はやはり音楽だ。 ロシア革命と1次世界大戦、2月革命などロシア現代史を貫く見慣れない背景に没頭できるようにするのはブロードウェー作曲家ルーシー・サイモンが作った美しいナンバーらだ。 メイン テーマ曲ということができる'Now'をはじめ'Ashes and Tears)','On the Edge of Time'などは引き伸ばす雰囲気をあっという間に反転させる'強力な一発'を持つ。 固くて紛らわしい話でサイモンの歌は感性的な旋律で感動刺激の最前線の役割をやり遂げる。

大叙事詩劇とクラシカルなナンバーの結合は'レ・ミゼラブル'を連想させる。 実際に'ドクトルジバコ'はオーストラリア初演前から'第2のレ・ミゼラブル'という評価を受けることもした。 ヴィクトル・ユーゴーの膨大な原作小説を舞台に移した'レ・ミゼラブル'は人々の期待と憂慮を同時に受けたが洗練された脚色で名作の隊列に上った。 重たい主題を絶頂まで一貫して維持しながらも長い時間の間力を失わないようにしたのが脚色の力、選択と集中だ。 'ドクトルジバコ'とは'レ・ミゼラブル'と似た出発点から始まったが今は他の所を漂流している。

一品ではないが各材料の質は明確に上級だ。 不完全なドラマとキャラクターの限界にもかかわらず、響きを与えたことはやはりホングァンホの歌だ。 キム・ジウもやはり'再発見'ということができる程キャラクターと高い符合度を見せた。 チェ・ヒョンジュも二人と水準高いハーモニーを見せる。 もうチョ・スンウという最高の材料がこの料理に加味された。 だが、今重要なのは材料でなく料理方式だ。 ミュージカル'ドクトルジバコ'の真の味はまだ出てこなかった。

[アジア経済 2012-02-17 06:54] 元記事はこちらから

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※この記事ミュージカル鑑賞前に読んで相当怯え、さらに映画の予習もできぬままいきなりチョスンウ氏舞台を観たもので(爆)舞台鑑賞後さすがチョジバゴと、彼でなければだめなんだろうくらい重暗く長い作品にかなり消化不良感だったのですが2度目ホンガンホ氏で観てみたら基礎知識も深まったところでかなり感動!レビューを鵜呑みにするもんじゃないですねえ。

ジバゴとララのデュエット曲を想い出に~。


뮤지컬 닥터지바고 프레스콜 홍광호 김지우 Now ショーケースから


ホンガンホ氏の重低音、惚れ惚れしました。ジフニだったらどうだろう(爆)。

Dr Zhivago "On The Edge of Time" 韓国キャスト動画なくオリジナル版?


韓国語はまだまだなわたしですが、"世の中を生きる理由、それはまさに君"みたいなフレーズが聴き取れてたまらず泣くー;; 韓国版キャストでOST出して欲しいなあ。
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