★人気漫画&ドラマ「宮」関連情報(+α )を、只今公務中な皇太子シン役チュ・ジフン(朱智勲)のお留守を守る管理人piroringoがお届けします★ほぼ毎日更新中!
 スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 [ライバル]ミュージカルVS映画[ドクトルジバゴ]
2012年02月13日 (月) | 編集 |
演技派チョ・スンウは期待復興するだろうか?

チョジキルとホンジキル. ‘ジキルとハイド’の二大山脈だと評価されるチョ・スンウ、ホン・グァンホがミュージカル[ドクトルジバゴ](演出デス メガノプ)で会った。 演技で勝負するチョ・スンウか、歌で勝負するホン・グァンホか。 観客は誰の手を握るだろうか?

先にホングァンホのジバゴが去る1月27日舞台に上がった。 ミュージカル界の‘盛大’と呼ばれるだけにやはり歌は遜色なかった。 特有の中低音ボイスを生かして容易ではない歌であるのにすっきりと消化した。 しかし演技に関しては意見が入り乱れていた。

来る2月14日、チョ・スンウがユーリー・ジバゴで初めて舞台に上がる。 チョ・スンウは映画‘春香伝’、‘マラソン’、‘タチャ’、‘パーフェクトゲーム’等で引き受けた人物と似た演技で賛辞を受けた。 ミュージカルでは‘ジキルとハイド’ ‘ゾロ’等で演技力と歌唱力を認められた。 演技で歌をより一層浮上させるのが彼だけの長所だ。

[ドクトルジバゴ]でもチョ・スンウのパワーがどれくらい大きいのか気になった中で、先にミュージカル[ドクトルジバゴ]と映画[ドクトルジバゴ](監督デビッド・リーン)を比較してみた。 映画は封切りした年だけで2億ドル以上の興行収益を得たし、全体収益の側面では歴史上8番目に大きい収益を残した。 また、1966年にはアカデミー5個部門をさらった。 映画の主人公を引き受けたオマー・シャリフとジュリー・クリスティもやはりこの作品を通じて一気にスターダムに上がった。

20120212-1.jpg 20120212-2.jpg 20120212-3.jpg


#感傷的な感情

映画とミュージカルには全部クラシックな感想がにじみ出る。 特に映画の中ユーリー・ジバゴは生活苦に苦しむ時窓に固まった雪の結晶体を見たり戦争で日光の強烈さを感じて詩的なインスピレーションを得る。

この瞬間、音楽がいつも共にする。 映画[ドクトルジバゴ]のOSTで最も有名なララのテーマ‘Maurice Jarre'だ。 この音楽は感傷にひたったジバゴの目つきと妙に交わって見る人々の感性を刺激する。

ミュージカルでも音楽が観客の感傷的な感情を誘発する。 豊かなオーケストラ旋律はクラシックの感性を引き出すこと充分だった。 オペラのような感じをかもし出したりもする。 主人公らの台詞が行き来する間にも穏やかなバックミュージックが敷かれる。

主要ナンバーを歌ったり話す時も音の過剰な高低がない。 主旋律が敷かれなかった状態で俳優は自身の力量で甘美なメロディを生かす。 公演会場を探したある観客は“目を閉じて音楽だけ聞いていてもとても良いようだ”として絶賛することもした。

#早い展開VS遅さの美学

ミュージカルのランニングタイムはインターミッション(休み時間) 20分を含んで160分だ。 かなり長い時間だ。 その上映画は197分でさらに長い。 冗長だ。 しかしミュージカルと映画の速度感は明確に違いが生じる。 映画はゆっくり進行される感じである反面ミュージカルは早く展開する。

劇は全部ユーリー・ジバゴ(映画-オマー・シャリフ扮、ミュージカル-ホン・グァンホ扮)が孤児になる瞬間で始まる。 ミュージカルでは青年時期が多少短く扱われる。 ララ(映画-ジュリー・クリスティ扮、ミュージカル-チョンミド扮)とコマロフスキー(映画-ロッド・スタイガー扮、ミュージカル-ソ・ヨンジュ扮)の関係やはり大きく浮び上がらない。

反面映画では青年時期のララがコマロフスキーに銃を向けるまでの過程が詳細に描写される。 特にララの心境変化の部分が目立つ。 おかげで最後にコマロフスキーがララとジバゴを訪ねてきた理由も明確にあらわれる。

劇はユーリー・ジバゴの幼い時期から命を終える時までを全部扱う。 膨大な過程を伝達するために二つの作品は各々他の時点を選んだ。 まず、映画はジバゴの腹違いの兄がジバゴの娘にユーリー・ジバゴとララのラブストーリーを伝える3人称時点だ。

反面ミュージカルはユーリー・ジバゴとララが表面に登場する1人称時点だ。 直接話法なので主人公らの感情はさらによく伝えられる。 特に台詞よりは歌にすべての感情が溶け合っている。 しかしストーリー理解は映画がさらに効果的だ。 ミュージカルはストーリーをついて行くのに汲々とした感じだ。 退屈さにつながったりもする。

クラシック ミュージカルだ。 言葉どおり古典的だ。 ショー的な感じを排除してストーリーとナンバー中心に展開する。 意図は良い。 だが、俳優らの硬い演技力が後押しされないならば危険だ。 圧縮されたストーリーを俳優らの感情に継続しないならば結束力が弱くなるほかはない。

#純白の純情

ユーリー・ジバゴとは二重的だ。 愛を渇望しながらも家族に責任感を感じる。 これは職業で極大化される。 医師と詩人。 対照的だ。 理性的な医師と感性に忠実な詩人の色を同時に整えなければならない。 それでこそ愛と責任の間で葛藤する彼の姿が引き立って見える。

オマーシャリフがジバゴを演技した後、スターダムに上がった理由もそのおかげだ。 二重的な感情を目つきで表現した。 考えに陥って日光を眺めたり、窓側に作られた雪の結晶体を眺める時の目つきは澄んでいることさえする。 特にインスピレーションを受けて笑う時は赤ん坊のように純粋に見える。

反面ミュージカルの演出を引き受けたデス メガノプはこの作品に対して‘二人の女と三人の男の愛の物語’と明らかにしたことがある。 主要テーマの愛に歴史的背景を負わせた。 彼の立場は正確に表明された。 ユーリー・ジバゴの心はララに偏られていた。 反面家族に対する責任感は比較的弱かった。

愛に重点を置いたストーリーラインは膨大な内容をミュージカルに移ってくるための演出の選択だった。 ユーリー・ジバゴを演技するホン・グァンホもやはりこれを良く従ったようだ。 しかし二重的な感情と職業の組合せがユーリー・ジバゴの魅力の中の一つだ。 惜しくもホングァンホのジバゴにはそのような姿が見られなかった。 愛に陥ったジバゴだけあるだけ。

[ドクトルジバゴ]の主舞台は広大だ。 映画は多様な場所で表現することができる。 だが、ミュージカルの舞台はただ一つだ。 ミュージカルは傾斜した舞台と幾何学的な紋で広大な舞台を表現する。 選択は卓越した。 汽車もやはり似た色を持った動きは舞台で代替される。 また、つららで染まった邸宅は有利に表現した。 つららよりより一層神秘な感じをかもし出す。

明らかにミュージカル[ドクトルジバゴ]の意味は充分だ。 しかし俳優たちの演技は弱かった。 ホングァンホの歌実力ぐらいチョ・スンウの演技力が光ることができるだろうか? ‘ジキルとハイド’でミュージカル ナンバーに演技を加えて相反したキャラクターを完全に表現した彼だ。 [ドクトルジバゴ]でもその時の演技力がもう一度光を見るのを期待してみる。 2月14日が期待される。

[公演情報]
公演名:ミュージカル[ドクトルジバゴ]原作:ボリス パステルナーク(Boris Pasternak)
演出:デス メガノプジャッコク:ルーシー・サイモン
公演期間:2012年1月27日~ 2012年6月3日
公演会場所:シャーロッテシアター
出演:チョ・スンウ、ホン・グァンホ、キム・ジウ、チョンミド、チェ・ヒョンジュ、カンピルソク、ソ・ヨンジュ、キム・ポンファン、イム・ソンエ他
観覧料:VIP席13万ウォン/ R席11万ウォン/ S席9万ウォン/A席7万ウォン

[ニュースカルチャー 2012-02-12 14:40] 元記事はこちらから

20120212-4.jpg 20120212-5.jpg 20120212-6.jpg

※しまった、買ったまま未開封のDVD今日観とくんだった(>_<)
いよいよ14日チョスンウ氏登場! 1ヶ月という準備期間ですが仕上がりを楽しみに~。

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。